インド・パキスタン、山を巡る女の旅 Part1
インド編

私はおととしの3月まで南国タイに住んでいた。約2年半の生活であった。渡タイ当初、私はバンコクで某タイ語学校に通っていた。「学生」とは言っても、留学生等とは程遠く、持っていたのは最大6ヶ月までタイに滞在可能なビザであった。6ヶ月経った時点で国外でビザを取り直してこなければならない。普通はそこで、大体の人間が日本に戻るところだが、私の心はその時「不思議の国、インド」に占領されていた。

「インド」…。その摩訶不思議な響き。それまでアジア各地を旅してきた私だが、この国だけは自分の食指が動いた時、「インドに行こう!」という気持ちがいっぱいいっぱいになった時に行こうと、とっておいた国だ。今、ようやくその時が来た。「インド」…。好きな人は何度でも行きたい国だが、肌が合わないと二度と行きたくない、インド人の顔など見たくないと旅人に思わせる国だそうだ。自分はどちらだろうか。

かつて私の友(屈強な男2人)は、貧しいインドの子供達にケンダマを見せてあげたいと、ぎゅうぎゅうのザックにけんだまを入れて、夢と希望に満ち溢れ、かの地に旅だった。しかし帰国後、その成果を問う私に彼らは顔を曇らせた。子供達にけんだまを見せようとしたら、「見てやるから金をくれ。」と言われ、お金をあげないとけんだまをとられ、それで頭を叩かれたと…。

また別の友人(世界各地を放浪した男性)は、インドで幼い子供を抱く母親に出会い、「かわいいなあー」と言ったら、母親は抱かせてくれたのはいいが、「おまえにやる」と言ってそのまま足早に立ち去ろうとしたらしい。

恐るべしインド。

しかし私がインドへの思いにどっぷり漬かっていた時、タイ語学校の友人「A嬢」は言った。「私もビザ切れるんです。パキスタン行きませんか?」と…・。

「パキスタン」…。なんと魅力的な響き。パキスタンと言えば、世界第2位の高峰「K2」がそびえる国ではないか。しかも中国国境に近いフンザは「桃源郷」のモデルと言われる場所。長寿の老人達が住むという。杏の花が咲き乱れる楽園か?

自分は今どこに行くべきか。決断できず悩む私にA嬢が言った。「両方行きませんか。陸路で。二ヶ月位?」

なんと!期間はせいぜい行っても1ヶ月だろうと思っていた私は脳天を叩き割られる気分であった。インド・パキスタン。この強者揃いの国に女2人。聞けばA嬢は高校時代、山岳部に所属していたというではないか。なんの、そういう私も大学時代に一人旅でネパール1週間のトレッキングに行った経歴がある。負けてはいない。よし、こうなったら世界に名だたる高峰を周るのだ!ならば、旅立とう!いざ、「女2人、インド・パキスタン、山をめぐる旅へ」…。

4月7日 インド、カルカッタ到着

バンコクからカルカッタへ向かうエアインディアは既にインド人が満載。ソワソワと落ち着きのないインド人達。そして私達は深夜のカルカッタ・ダムダム空港に到着した。「深夜のインド→人さらい→売春宿→手足を切られる→日本大使館に保護され日本に帰国」 勝手な想像が頭をよぎる。重いザックを背負って税関を出て、思わず足がすくんだ。深夜というのにすごい人数のインド人が出待ちをしている。こういうのを「鴨ネギ状態」というのか。彼らにとっては気弱な鴨がネギをしょって登場したと見えるのではないだろうか。「NO Thank you!」と言っているのに、タクシーがうるさい。「インドは二回目」というどこか凄みを漂わせた同じく女性二人組みと知り合いになり、4人でタクシーをシェアして安宿街サダルストリートに向かうことになる。

半分けんか腰でタクシーを交渉していると、信頼できそうな風体のタクシー運転手が4人で100ルピーで行くという。他に比べて良心的だったので、少し安心してタクシーに乗り込み、夜のカルカッタを滑りだした。「いいタクシーに出会えて良かった」と胸をなでおろしていると、あんなに確認したのに急に運転手は「1人100ルピーだ」と言い出した。先の二人組みの女性がすごい剣幕で怒り、私達は捨てゼリフを残してタクシーから飛び降りた。「ムムム!これがインドか!でも負けるものか!」

暗闇にインドの人々の目がランランと光っている。大いなる期待と不安が交錯する。この後、いくつもタクシーを交渉し、ほうほうのていで、ようやく私達はサダルストリートに到着し、重いザックを下ろした。


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